島 香太郎

島香太郎は 昭和12年 香川県仲多度郡竜川村(現 香川県善通寺市)に生まれ 子どもの頃は童謡歌手として活躍し その後 昭和34年7月に日本マーキュリーより「恋泥棒(作詞:原俊雄 作曲・編曲:西脇稔和)」という曲で本格的に歌謡曲デビューをします 実はそれ以前にも「大空高夫」の名で日本マーキュリーの前身 タイヘイ音響より 昭和26年12月に「母子馬車」という曲で藤浦千恵子と共演をしています

恋泥棒

母子馬車

この「恋泥棒」という曲! なかなか味のある歌声で聴いてると不思議に引き込まれていく魅力的な一曲なんですが その後 この曲は不幸に見舞われてしまいます それはデビューして間もなくのことでした 同年(昭和34年)に改正された放送法よって放送事業者に対し「放送番組審議会」の設置が義務づけられ これによってNHKの放送倫理規定にこの「恋泥棒」が抵触するということで放送禁止の憂き目に遭ってしまったのです これに関しては ご本人が自身のホームページで「後援会の皆さんに盛大にデビューのお祝いをして頂いたにも関わらず申し訳なくて 絶命してお詫びするしかないとまで悩んだ」と述べられています その後は「木村晴岳」「貴村忠善」の名で作曲家として活躍をされて多くの楽曲を手掛けておられます こちらはその一覧です↓
http://key.yu-nagi.com/net/sakuhin2.htm

「恋泥棒」
https://youtu.be/YZzoA6KL4lE

「母子馬車」
https://youtu.be/37uUK9AtN1U

タロー・ジローのカラフト犬

昭和33年2月 日本の南極観測隊が昭和基地で第一次観測隊と第二次観測隊との交代作業を進めていました ところが あまりの悪天候によって第二次観測隊の越冬を断念して昭和基地を離れることになったのですが その際に15匹のカラフト犬が鎖につながれたまま南極に取り残されてしまいます その約1年後の昭和34年1月に第三次南極観測隊によって奇跡的に発見された二匹のカラフト犬!タローとジロー(正しくは タロとジロ) 当時「奇跡の生還」として話題となり 後に「南極物語」として映画化もされました このレコードは そんなタロとジロを題材に 昭和34年4月に東芝がレコード化して発売した曲です

このレコードは カップリング違いの二種類(レコード番号「NP-1022」と「NP-1040」)があります A面は どちらも「タロー・ジローのカラフト犬」で 作詞:しばさきそうすけ 作曲・編曲:豊田稔 唄:三浦尚子と東芝シンギンク・エンジェルス  発売は いずれも昭和34年4月です

こちらのレコード番号 NP-1022の方のB面は 「冬のひとりごと」で 作詞:鈴木てるを 補作詞:篠原しのぶ 作曲・編曲:石松晃 唄:三浦尚子

タロー・ジローのカラフト犬

冬のひとりごと

こちらのレコード番号 NP-1040の方のB面は「生きていたタロー・ジロー」と題して「南極の樺太犬を見守る会」会長の成瀬幸子によるお話が収録されています

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「タロー・ジローのカラフト犬」
https://youtu.be/dqIiXoQ_u00

CM漫才

しゃべくり漫才の創始者として「早慶戦」などの漫才で一世を風靡した横山エンタツ・花菱アチャコでしたが 結成から3年9ヶ月経った昭和9年に解散してしまいます その後 アチャコがコンビを組んだのが 元相方の千歳家今男でした これはその頃のレコードで 製薬会社「わかもと製薬」のCM漫才です
わかもとよいもの(上)
「わかもとよいもの」
https://youtu.be/0lUlvwcMNfY

ぼくはホモちゃん

一瞬「ドキッ!」とするタイトルですが 御心配なく! ここで言う「ホモ」というのは ホモジナイズド(homogenized)牛乳と言って 牛乳に含まれる脂肪酸を均質化させて消化吸収を高めた牛乳のことだそうで 昭和27年6月に森永乳業から「ホモ牛乳」の名で発売されたのが最初なのだそうです ホモちゃんというのは そのホモ牛乳のキャラクターの名前で レーベルに描かれているのがホモちゃんです …で こちらの曲は そのCMソングとして 昭和28年の春からラジオ東京(現:TBSラジオ)にて流された曲で 作詞はサトウ・ハチロー 作曲は伊藤翁介 合唱は音羽ゆりかご会です

ぼくはホモちゃん

B面には「新子守唄」という曲が収録されているんですが 唄っている歌手の表記がなく わからなかったので森永乳業の方に聞いてみたんですが こちらに関しては「資料がなくて わからない」ということでした ちなみに作詞はサトウハチロー 作曲は宅孝二となっていて 歌は女性歌手が朗々と歌い上げています

新子守唄 「ぼくはホモちゃん」
https://youtu.be/mtpHgjuXxF4

大島千鶴

昭和32年3月 民謡調の歌謡曲「恋と坊さん」でデビューをした大島千鶴は 兵庫県加東郡社町(現、兵庫県加東市社)の出身で 谷垣譲に師事して発声を学び 仲間とバンドを組んで活動をしていました そんなある日 隣の西脇市で開かれた のど自慢大会に出場し優勝したのが切っ掛けで日本マーキュリーの専属歌手となります 当時25歳でした 退社後はバンド歌手として活動し 映画説明の第一人者 泉詩郎の率いる「泉詩郎歌謡楽団」の歌手としても活躍しました

デビュー曲「恋と坊さん」↓

恋と坊さん

昭和32年6月発売「ぱっと出たちょっと出た」↓

ぱっと出たちょっと出た

また 大島千鶴は 兵庫県氷上郡青垣町(現、兵庫県丹波市青垣町)が 昭和32年に制定した「青垣小唄」にも その歌声を残しています ちなみにこの「青垣小唄」とカップリングされている「青垣音頭(唄:佐々木潤)」は 彼女の師でもある谷垣譲の作曲によるものです

谷垣譲は 戦前に大阪の梅田舞踏隊の専属歌手兼声楽教師として活躍し 戦後はポリドールの専属歌手となり 歌手を引退後に多可郡黒田庄町(現、西脇市黒田庄)にある黒田庄中学校の音楽教師となり 傍ら作曲家としても近隣のご当地音頭や小唄などのご当地ソングを多く手掛けた人物です

昭和32年制定「青垣小唄」↓

青垣小唄

「恋と坊さん」
https://youtu.be/IkJ4OrHAdCg

「青垣小唄」
https://youtu.be/jIv8soQ4cPE

「青垣音頭」
https://youtu.be/HIyorxJpI84

蝶々・雄二の夫婦善哉

昭和30年に大阪の朝日放送でラジオ番組として始まった「蝶々・雄二の夫婦善哉」は好評を博し その後 テレビ放送となりました 昭和33年に二人は離婚しますが(正式な婚姻関係ではなかったので 正確には事実婚を解消!)二人での司会は その後も続き 昭和48年に南都雄二の亡き後も「ミヤコ蝶々の夫婦善哉」として ミヤコ蝶々が一人で司会を務め 昭和50年まで20年間続く長寿番組となりました

この番組は 毎回一般の夫婦をスタジオに招いて 蝶々と雄二が結婚生活や新婚時代のエピソードなどをおもしろ可笑しく聞き出すという 後の「新婚さんいらっしゃい」につながる先駆け的な番組でした このレコードは そんな二人がまだ夫婦関係にあった昭和31年・32年頃に録音されたものだと思います 昭和40年には同名の映画も公開されました
蝶々・雄二の夫婦善哉(上)
 
「蝶々・雄二の夫婦善哉」 作:秋田實
https://youtu.be/29TnPKMr5uc

ハート美人レコード

戦前にハートゴム製作所サービス部が制作した「ハート美人レコード」です 演じているのは三味線漫談の第一人者 柳家三亀松で お題は「箱根の一夜」 ちなみにハート美人というのはコンドームの商標名です つまりこのレコードはコンドームの宣伝レコードという訳です

とある夫婦が週末を利用して箱根へと旅行にやって来ます 温泉に入って美味しいお料理を食べて…そろそろ寝ようか?と言った時に旦那が女中さんに「紙とえんぴつを貸してくれたまえ!」と言って そこに「ハート美人」と書いて その女中さんに「これを買って来ておくれ」と言って手渡す…受け取った女中さんは「は、ハート美人…はっ!かしこまりました」と言って恥ずかしそうに答えるという なかなか良く考えられた面白い趣向の宣伝レコードとなっています

箱根の一夜(上)

レーベルを見ると「懸賞募集情歌入」とあります 演目の中で三亀松が都々逸を披露しているんですが これらの都々逸は どうやら一般公募で募集された作品のようですね

「箱根の一夜」
https://youtu.be/GYiSVaHBHxo

タイトルを懸賞募集

昭和28年6月に発売された菊池章子のレコードです レーベルを見ると何故か朱色で「?」との表記になっていて曲名が表記されていません 何故かというと発売時 この曲にはまだ題名がなく 曲の題名を懸賞募集で決めるという面白いセールスで登場したレコードなのです 詞を一般募集して曲作りをするというのは良く聞きますが 曲の題名を懸賞募集で決めるというのは なかなか珍しいですよね

わたしの明日を教えてよ

題名懸賞募集 - コピー

  題名懸賞募集

募集の結果 この曲の題名は「わたしの明日を教えてよ」に決まりました 作詞は荻原四郎 作曲・編曲は大久保徳二郎です

「わたしの明日を教えてよ」
https://youtu.be/i4Wj_9nhyc4